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成都から南に170km行った所に楽山市があります。楽山は昔、嘉州と称し、楽しき山という意味で嘉の字を用いたのです。確かにここはその素晴らしい山と水の流れで数多くの観光客を引き付け、楽山大仏は特に天下に名声を馳せております。楽山大仏は楽山市内を流れている岷江のほとりに臨み、凌云山という山の中に造られています。
その足元は岷江、大渡河、青衣江の三江が合流したところとして「三江合流処」と言われています。大仏は唐代に造営されたもので、高さは71mもあり、その大きさは人々を驚かせます。世界で一番大きい弥勒大仏の座像と言われております。その頭部だけでも15mで、耳は二階建ての高さで、7mもあります。片足の裏側は100人も座れ、天気が良い時にはそこでトランプをしている人々が見うけられます。
1979年にその指の一本を修繕するため、三千あまりの煉瓦を用いたそうです。「山は一体の仏で、仏は一つの山」の詩のとおりです。
粛然とした楽山大仏は手を膝に置いて、少し川の方を見下ろして、まるで川を守っているようです。それではなぜこの大仏を建造したんでしょうか。所縁があります。先程申しましたようにここは三江合流点ですので、激流です。近年はいろいろ原因があり水量が減っていますが、昔はよく船が転覆しました。唐代に貴州から来た海通和尚が「船を転覆させたのは川に化物のせいだろう」と考えました。そこで、一体の弥勒大仏を713年から803年までの90年間かけて建立しました。大仏様のお陰でそれ以来ここでの転覆事件はあまり発生していないそうです。
大仏の役割はそれだけではなく、その頭部には螺髻(らけい)が千個位あり、髷(まげ)は互いに連なっていて、巧妙な科学的排水システムとなっています。千年前の石刻師の技術の深さは実に素晴らしいですね。
大仏の両側にある岩石の龕(ずし)に歴代彫刻した石像があります。大仏とともに川の守り役をしているのです。また、右側に唐代に造られた桟道があり、「九曲桟道」といいます。長さは400m位で、凌云山にある桟道と繋がっており、大仏の遊覧コ−スとなっております。観光客は桟道を通り大仏の足に来ては記念写真を撮るなど楽しんでおります。
一般の観光ル−トとしては、船に乗り川の中央から大仏を見ないと全体像が見えません。普通の汽船で、地元の個人経営者が観光客に声をかけています。乗船し5分間ほどで大仏の足元に着きます。写真が撮りやすいように汽船は10分位止まります。撮り終えたら大仏を含む山全体の観光です。
1989年頃に、観光旅行をしたある旅行者により、中国を驚かせることが発見されました。新聞報道によると、この旅行者は帰宅し撮影した写真を合わせたところ「へぇ、全部の写真を合わせたら、この凌云山と烏尤山は寝ている巨大な大仏になるんじゃないか」とびっくりしたそうです。
烏尤山と凌云山は元々一つの山でしたが、2200年前李氷が岷江の整備事業の一環として灌漑水路を作るため山を掘ったため、烏尤山は凌云山と別々になったのです。
この寝ている大仏、いわゆる「睡仏」の体が凌云山で、大仏はちょうどその心臓部に当たり、烏尤山は頭部となっています。静かに水面に寝転んでいる睡仏の一番不思議なのは、その頭部の目、口、鼻が実にいきいきしていることで、その形は人工的なものではなく、山の植生によって成したものです。これは建造した時に考えていたものではなく、天然の産物に他ならないでしょう。
睡仏は離れた場所から観賞しますので、座像大仏の見学に加えて船の中でも見えますが、ただ川から昇る水蒸気がとても多く、霞みがちなのでよく見えない場合があります。これも楽山大仏と睡仏との神秘さと言えるでしょう。
なお、楽山大仏がある凌云山に仏教寺院の凌云寺があり、楽山市から30km離れている仏教名山の峨嵋山とともに、昔から「上は峨嵋を拝み、下は凌云を拝む」と言われ続けた有名な聖地となっております。